いまや当たり前と言っていいほどに浸透しているガールズバンド。その第一人者であるガールズバンドSHOW-YAのボーカリストとして活躍し、今もパフォーマンスを続けている寺田恵子さんをご存じでしょうか。
ZONEやチャットモンチーなどのバンドに加え、SCANDALや今活躍している大人気バンドのSHISHAMOもガールズバンドです。
そんな彼女らの活躍の土台をつくった、まさしく日本のガールズバンド界を牽引してきた寺田恵子さんについて、今回紹介していきたいと思います!
寺田恵子さんについて
休憩中 pic.twitter.com/WIkjdvnI0u
— 寺田恵子/SHOW-YA (@KeikoTerada) December 4, 2020
プロフィール
生年月日 | 1963年7月27日 |
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出身 | 千葉県船橋市 |
好きなアーティスト | カルメン・マキ、アン・ルイス |
出身高校 | 千葉県立船橋芝山高等学校 |
1963年に船橋市で生まれ以降も船橋で育ってきた寺田さん。小学生の頃にカルメン・マキ&OZの『私は風』を聴き「自分の声と似ている!」と気付いてぼんやりと音楽の道を考えるようになったんだとか。カルメン・マキしか歌わない!と言っていたそうです。
その後高校の文化祭で男性バンドに誘われボーカルとして活動を始めます。当時練習拠点にしていたスタジオの社長さんにSHOW-YAの前身のバンド「メドゥーサ」に誘われましたが、なんと女性だけでのバンドはできないと断ったそうです。びっくりですよね!
そのあと3回ほど断ったもののバイト先の友人が、メドゥーサのメンバーだったことから加入を決めました。「女バンドはキライだ」とまで思っていた寺田さんですが、その理由はおそらくアイドル然としたガールズバンドの売り出し方が気に入らなかったのかもしれません。
実はSHOW-YAがブレイクしたのはデビューしてから少し時間を空けた後なんです。なのでSHOW-YAより後にデビューしたプリンセスプリンセスが先にブレイクしているんですよ!
この当時「可愛い方が世間にはうけるのか」と落胆したとのことですから、かっこいい路線で行きたかった寺田さんとしては、ガールズバンドは最初お眼鏡にかなわなかったのかも。ちなみに不仲説もありますがプリンセスプリンセスの皆さんとは仲がいいそうです。
寺田恵子さんの昔と現在の活動は!?
活動経歴
SHOW-YAとして活動
高校1年生のときガールズバンド「メドゥーサ」として活動を開始し、その後「SHOW-YA」にグループ名を変更しました。1982年にはヤマハ主催のバンドコンテストレディース部門で最優秀グランプリに輝きます。
この時なんと寺田さんだけ大手プロダクションやレコード会社からソロデビューの話が持ちかけられていたそうなんです!やっぱり寺田さんは当時からとびぬけて光るものを持っていたんですね!
ちなみにこの時寺田さんはソロではなくみんなでデビューしたいと考えこの提案を拒否したんだとか。その結果バンドとしてデビューする流れになったものの、メンバー6人中寺田さん・中村さんを除く4人が音楽以外の道に進むために脱退することとなりました。
それまでのインディーズとは変わり覚悟がいる世界に入るということは、当時高校生だった彼女たちには厳しい選択肢だったのかもしれません。その後のメンバー募集により、角田さん、仙波さん、五十嵐さんが加入します。
ついに1985年、寺田さんは女性だけのロックグループ『SHOW-YA』のヴォーカリストとして『素敵にダンシング(Coke is it)』でデビューを果たします。この時はアイドルバンド路線として売りだしましたが、その後ハードロック路線に切り替えました。
やっぱりアイドルとして売れるよりも自分たちの音楽を貫きたいという信念が強かったんですね!ですがこの思いとは反対に、ガールズバンドがまだ馴染みがなかったせいかセールスは伸び悩むこととなります。
この時寺田さんは伸び悩む原因は自身が担当していた作詞にあるのではないかと考え、7thアルバム「Outerlimits」製作の時に音楽家の安藤芳彦さんに作詞を依頼しました。これまでの自身の日記を安藤さんに手渡し、それをもとに詩を書いてほしいと頼んだのです。
自分が表現する音楽にこだわり続けた寺田さんが、作詞を外部に依頼することを決めたというのは相当な覚悟があったと思います。葛藤の末に託されたこのアルバムは60万枚を売り上げチャート誌の1位となりました!寺田さんの決意が成功を引き寄せたのです!
また、この時から笹路正徳さんもプロデューサーとして参加し、8thシングル「限界LOVERS」は30万枚突破のロングセラーとなります。2回の武道館公演の他、テレビ番組にも登場するようになりました。
1987年からは寺田さん自らのプロデュースで女性アーティストだけを集めたイベント『NAONのYAON』を毎年1回、日比谷野外大音楽堂で開催するようになりました。このイベントを通してガールズバンドの知名度をあげることに貢献します。
しかし1991年2月、方向性の相違からSHOW-YAを離脱してしまいます。多忙を極めたスケジュールにより引き起こされた喉を潰すなどの体調不良と精神的ストレスが原因とされていて、約1年半休養期間をとることとなりました。
脱退後の活動
SHOW-YA時代、11枚のシングルと8枚のアルバムをリリースし成功したもの、世界進出を目前として寺田さんの脱退によりSHOW-YAの歩みは止まってしまいました。ですが休止中やっぱり音楽が好きだと再確認した寺田さんはソロ活動を始めます。
1992年にはバルセロナオリンピックNHKイメージソングの「PARADISE WIND」をリリースします。シングル7作品、アルバム6作品をリリースする中、寺田さんはSHOW-YAのオリジナルメンバーに声をかけ再結成を目指していました。
頭を下げ5年という長い期間をかけてメンバーの説得を続けた結果、ついに2005年10月に14年ぶりとなる「SHOW-YA」が再結成されます!ライブ活動の他2008年4月29日にはSHOW-YA PRODUCEによる「NAONのYAON」が17年ぶりに日比谷野外大音楽堂にて復活しました!
この再結成のところに寺田さんの音楽にかける熱意が伝わりますよね!現在はソロ活動と並行してSHOW-YAとしての活動も行っています。そして8月30日に12枚目のフルアルバム「SHOWDOWN」をリリースすることが決定しました!
なんとこちら全編英詞で制作されていてバンド史上初の世界リリースとなるんです!一度諦めた世界進出がついに叶うこちらのアルバム、興味がある人は是非チェックしてみてくださいね!
若いころと現在で画像比較!
悪いWink、セクシーでしたねぇ。29年前にこの日の事が想像できた人は1人もいないでしょうねぇ。SHOW-YAの寺田恵子さんがWinkの振り付けを完コピして相田翔子さんと歌うとか…
昔の写真を見てると違う星の住人のようで。 pic.twitter.com/KQlrvRqEN8— harumi (@harumi_fourcats) April 29, 2018
左記画像、前列右側は若いころのハードロックスタイルの寺田さん。とても美人ですよね!
この美貌はなんと今も健在なんです!下の画像では真ん中が寺田さんなのですがすごくかっこいいですよね!
引用:アメブロ
こんなに綺麗なのにいまだ結婚されていないというのは意外ですね。ずっと音楽一筋だったので他のことにリソースをわけていなかったのかもしれません。
まとめ
- 幼いころから音楽の道を目指していた
- 「SHOW-YA」としてデビューしガールズバンドの知名度に貢献した
- 体調を崩し脱退するが、14年後再結成する
- 現在はSHOW-YAと並行してソロ活動を行う
いかがだったでしょうか?なかなか波乱な人生を送りつつもその根底にはいつも音楽が眠っていましたね!SHOW-YAの再結成のために5年も費やしたその熱意には頭があがりません。
そして寺田恵子さんは7月6日(火)に放送されるTBS系マツコの知らない世界に登場し、SAKI(Mary’s Blood、NEMOPHILA)さんと一緒に「ガールズバンドの世界」を紹介してくれます!
観てね〜よろしく😉 https://t.co/uie0xoAtcJ
— 寺田恵子/SHOW-YA (@KeikoTerada) June 29, 2021
第一人者からみるガールズバンドの世界はどのように見えているのでしょうか?是非気になった人は番組をチェックしてみてください!
最後までお読みいただきありがとうございました。